論文・岡島昭浩「〈五音歌〉の変容」

論文・岡島昭浩「〈五音歌〉の変容」*1

アワヤ喉(コウ)サタラナ舌(ゼツ)に カ牙(ゲ)サ歯音(シオン) ハマの二つは 脣(シン)の軽重(キョウチョウ)

というのは、江戸時代の刊本韻鏡の巻頭などに載せられる〈五音歌〉で、これは日本語の子音を、韻学における子音の枠組みに分類したものである。三沢諄治郎(一九五九)・湯沢質幸(一九九二)によれば、寛永五年版韻鏡に見えるのが古い(「五音歌」という呼び方は三澤論文に従う)。ア行・ワ行・ヤ行は喉音、サ行タ行ラ行ナ行は舌音、カ行は牙音、サ行は歯音、ハ行マ行は唇音(ハ行は軽唇音、マ行は重唇音)と分類している。サ行が二個所に出て来るので、「ザタラナ舌に」となったり、「タラナは舌に」となったりすることもあった。韻学書の類での改作詳細は湯沢論文に付かれたいが、ここでは韻学書以外での変容について触れることにしたい。

        一

 この〈五音の歌〉が歌舞伎十八番の「外郎売」の中に出て来る。外郎の透頂香によって、口中が爽やかになり、舌の回りがよくなる。それで舌もじり(早口言葉)をまくし立てるわけだが、その舌もじりの直前に、音韻学用語をほのめかしておく*2のが、この〈五音歌〉なのである。
 烏亭焉馬「歌舞妓年代記」初編二の「うゐらう賣のせりふ」(三澤論文でも、これを引く)では、

あわや咽(のど)、さたらな舌にかげさしおん。はまの二ツは唇(くちびる)の軽重(きやうぢう)かいごふ爽(さはやか)に、あかさたなはまやらわ、をこそとのほもよろお。
      大正十五年、歌舞伎出版部刊による。享保三年の条。
      日本古典全集では享保四年の条にあるが本文同じ。

となっている。ほかにも、この外郎売りの科白はいろんなところに引用されるが、唇舌牙歯喉が訓読みになっていたりする。「歌舞妓年代記」では、「咽」が「のど」と訓になっており、「舌」は音のゼツか訓のシタか判らないが、「かげさしおん」は本来の姿を保っている。最後の「唇の軽重」だけは、「くちびるの」と読まないと後へ続いて行かない*3から、ここは、外郎売りの科白に組み込まれた当初から訓読みだったと思われるけれども、「脣」以外の、「喉」「舌」「牙」「歯」は音読みであるのが、外郎売りの科白としても本来の姿だと思われた。音韻学らしさをひけらかすためには、その方がふさわしいからである。
 大阪大学忍頂寺文庫に「ういらううり」があり(G92-19、「忍頂寺文庫蔵 団十郎関係書書誌解題」参照)、これは外郎売りを始めた二代目団十郎の頃の本とみられるものである。これには、

あはやのとさたらな.したにかきばとてはなの二つは口ひるのきやうぢうかいごうさはやかにうくすぬ(〈ママ〉)へめゑれへ.あかさたなはまやらは

とある*4。漢字などを当てれば、

アワヤ咽(のど) サタラナ舌(した)に カ牙(きば)とて ハナの二つは 唇(くちびる)の 軽重(きやうぢう)開合(かいごう)さわやかに、うくすつぬへめえれゑ、あかさたなはまやらわ

といったところで、この時点で、「唇」のみならず、「喉」「舌」「牙」が、全部訓読みになっていて、これは予想を裏切る形である。
 「カ牙サ歯音」の「サ歯音」を消してしまって、「カ牙(きば)とて」となっているのも面白い。「かきばとて」となると、本来の意味のように聞くことは困難だろうが(牙は奥歯であるが、「きば」では合わない)、「かげさしおん」と発音したものが「かきば」などと聞かれるとは考えがたく、「牙」という文字の訓読によって出来た形と思われる。これはセリフ本の筆録者によるのではなく、団十郎自身がそのように言ったのであろうと思われる。
 『歌舞妓年代記』などでは「かげさしおん」となっているので、どこかの段階で、本来の〈五音歌〉による科白の改訂が行われたと観ることが出来そうである。二代目団十郎以後、『歌舞妓年代記』以前の台詞づくしや「鸚鵡]」などの筆録を見ていないので 、どの時点の改訂であるのかを知ることが出来ない*5
 また、「ハマの」とあるべきが「ハナの」になっている。これでは本来の音韻学的意味は見いだせない。「ハマの二つ」が「ハ行音とマ行音の二つ」と解しえず、「浜の二つ」では意味不明なこともあり、せりふ本の筆録者が(あるいは団十郎本人が)「花の二つ」と再解釈したのであろう。これも、「かきば」と同様、『歌舞妓年代記』などでは訂正された形で載せられている。
 さて、この外郎売りは、現在では歌舞伎の舞台で演じられることは稀であるようだが*6、演劇やアナウンスなどの練習の際には、現代でも、早口言葉を集成したものとして唱えられる*7ようで、諸書に引用されている。また、言語遊戯系の書にも、よく載せられている。書籍だけでなくインターネット上にも多数見ることが出来るが、ここでは書籍のものを見ることにする。


 『歌舞妓年代記』からと明示してあるものは、綿谷雪(一九二七)(一九四二)(一九六四)、鈴木棠三(一九五九)(一九七五)*8 、安間清(一九六四)、田中章夫(一九九九)など多い。日下部重太郎(一九三二)もそうで、しかも東大図書館本によると明記してあるが、

アワヤ喉(こう)、サタラナ舌(ぜつ)に、カ牙(げ)、サ歯音(しおん)、ハマの二つは唇(しん)の軽重(きやうぢゆう)、開合(かいがふ)さわやかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロオ、

と、これには音韻学に従った振り仮名が附してある。「唇」を「しん」と読むと、七五調が崩れるのだが、音韻学的読み方にこだわっているのである。日下部(一九三二)には、「五十音図の研究」も収録されているような書であることを付記しておく。音韻学の通りに「喉」に「こう」、「舌」に「ぜつ」、「唇」に「しん」の読みを附しているものに、塩原慎次朗(一九七九)の、

アワヤ喉(コー)、サタラナ舌(ゼツ)に、カ牙(ゲ)、サ歯音(シオン)、ハマの二つは唇(シン)の軽重(キョージュー)、開合(カイゴー)さわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお、

・芸術教育研究所編『演技入門ハンドブック』黎明書房 p.143

アワヤ喉(こう)、サタラナ舌(ぜつ)に、カ牙(げ)、サ歯音(しおん)、ハマの二つは唇(しん)の軽重(きょうじゅう)、開合(かいごう)さわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお、

がある(出典は記していない)。川和孝(一九八一)p.177では、本文に「喉(のど)」で、注に「「こう」でもよい」、「唇(くちびる)」で、「「しん」でもよい」としている(「舌(した)」には注がない)。
・宇田敏彦「江戸時代の流行語」 国文学1997.12

あはや咽(のんど)、さたらな舌にかげさしおん、はまの二つは唇の軽重(きょうじゅう)かいこふ爽に、あかさたなはまやらわ、をこそとのほもよろお

も、『歌舞妓年代記』からと明示してあるが、「咽」に「のんど」の振り仮名が付けてある。同様に「のんど」と発声してしているものとして、
・評伝社『カセットテープ版/大道芸口上集(下)』1990、定価1800円(本体1748円)で、演者、安井博道の、

あわやのんど、さたらなしたに、かげさしおん。はまのふたつはくちびるのけいちょうかいごうさわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお、

というものを聞くことが出来る。


 『歌舞妓年代記』系ではなく、二代目団十郎のセリフ本に近い形を載せるものもある。河竹繁俊(一九四四)p.95に、

あわやのどさたらなしたにかきはとて、はなの二つは唇の軽重(きやうぢう)、開口爽(さわ)さわやかに、うくすつぬほもよろを、あかさたな、はまやらわ

・米山文明『声がよくなる本』平成三年、TODAYBOOKS(主婦と生活社)一九七七年初版の改訂版。一九九七年にもTODAYBOOKSの名で、文庫版として刊行。

あはやのど、さたらな舌(した)にかきはとて、はなの二(ふた)つは唇(くちびる)の軽重(けいじゅう)かいこう爽(さわ)やかに、うくすつぬほもよろを、あかさたなはまやらわ

「ハナの二つ」となっていることもセリフ本と同じだが*9、『歌舞妓年代記』系の文句で、「ハマの二つ」を「タマの二つ」と改めているものもある。これも再解釈である。
・室町京之介『香具師口上集』創拓社 p.140

あわや咽喉(のど)、さたらな舌に、かげ(牙音)さしおん(歯音)。たまの二ッは唇の軽重かいこう(開合)爽かに、あかさたなはまやらわ、をこそとのほもよろお、

・福島英『声のトレーニング』岩波ジュニア新書2005 p.140

あわや咽喉(のど)、さたらな舌(した)に、かげさしおん。たまのニツは唇(くちびる)の軽重(けいちょう)かいごう爽(さわや)かに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろを、

 なお、書籍上では見いだしえなかったが、Web上に、「ワマの二つ」としているものがあった。「ハナの二つ」「タマの二つ」への改変とは違い、意味が通るようにという再解釈では説明できないものである。

あはやのど、かたらな舌にさは歯音、わまの二つは唇の軽重かいごう爽やかに、うくすつぬほもよろを、あかさたなはまやらわ、

http://wayback.archive.org/web/20050327081401/http://www.geocities.jp/todok_tosen/sala/tmi/voice.html

「かたらな舌」など、かなり転訛した形である。
興津要『江戸小咄商売往来』旺文社文庫

あわや咽(のど)、さだ((ママ))らな舌にかげさしおん。はまの二ツはくちびるの、軽重かいこう、さわやかに、あかさたな、はまやらわ、をこそとのほもよろお、

韻学書でサの重複をさけるために「ザタラナ舌に」とするものはあるが、「さだらな」は誤植であろうか。


向井吉人(一九八九)p.208は、鈴木棠三(一九七五)・川崎洋『ことばあそび』にも言及するが、馬場雅夫(一九七六)によるものらしい。織田正吉(一九八六)p.61は、安間清(一九六四)によるという。クロード小林ほか(一九八五)は、参考文献として鈴木棠三(一九七五)、千田是也『近代俳優術』、綿谷雪(一九六四)をあげる。


石塚雄康(一九九二)p.243、勝田久(一九七八) p.196、冨田浩太郎(一九七六)p.150*10、冨田浩太郎(一九八八)p.190、東京声優研究所(一九九七)p.172は、出典を示さない。


異質なものも拾っておこう。綿谷雪(一九四二、p.17)(一九六四、p.56)の引く、烏亭焉馬団十郎せんべいの引札文句 のうち、五音歌に対応するのは、

あまいこと砂糖の蜜煉り上せんべい、紋の三升は滝のぼり。常住(じようじゆう)買手にぎやかに、

という部分である*11


仮名垣魯文西洋道中膝栗毛』一〇・下で、「福地理外先生直傳のういらう賣のせりふ」というもの*12

ヱー。ビー。スイー。デイー。イー。清濁(せいだく)の二ツの唇(くちびる)の軽重(けいぢゆう)開口(かいかう)さハやかに。ヱフ。ジー。エイツチ。アイ。ゼイ。ケイ。ヱル。ヱム。ヱン。オー。


「いらはい、いらはい放談会」(『新青年昭和11年7月号。『新青年傑作選5読物・資料編』昭和四五年 立風書房による。p.244)で、「見世物研究家」浦田泉三の報告する「外郎売」は、「廻って来たわ」の後に、「アワヤ喉」がなく、いきなり早口言葉が始まる。なお、「廻ってきたわ廻ってくるわ」と繰り返すか「廻ってくるわ」だけか、など、五音歌以外の部分にも変容は多いが*13、ここではとりあげない。「軽重」の読みの違いにも目をつぶる。

   二

 姓名判断の書に、〈五音歌〉の変形したものが載せられることがある。韻鏡による姓名判断が盛んであったことは三澤論文にも記されているが、これは人名の二字を反切した帰字*14によって占うものである。『古事類苑』姓名部、九名下「反切人名」に例が挙げられ、三澤諄治郎(一九五六)・佐藤稔(二〇〇七)に、ややまとまった記述があるが、中世日本には既にあったものである。
 韻鏡を裏づけに持つが、反切をしなくてもよいものもあり、これも近世期には広く行われたようである。字音の声母(頭子音)によって、漢字を五行に配し、それで姓名判断をするものである。声母を五行に配すること自体は中国にもあり、『古今韻会挙要』のような公的な韻書にも見えるし、高田時雄(一九九一)も説くように、占術的なものも中国にある。
 「唇舌牙歯喉」という「五音」の、五行との対応は、一般的には木-牙、火-舌、土-喉、金-歯、水-唇となっている*15。その対応により、姓名の字を五行に配するわけだが、それを覚えやすく歌にしたというのが、〈五音歌〉を下敷にしていると思われる、次の歌である。

アワヤ土 ハマ水 サ金 タラナ火ぞ カは木なれども土につくあり

 これが代表的な形で、この形では、高井蘭山『名乗字引』寛政三年序、『本朝名乗字引』・高井蘭山輯・清間齋刪補『日本史同外史/名乗字引』(慶応四年増補再刻、竹山塾)、熊崎健翁『生命姓名の神秘』昭和三五年十四刷(昭和二五年に改訂版の序)、紀元書房p.126、田口二州『よい名前の付け方』昭和四五年、鶴書房p.35(漢字をまじえず、すべて平仮名で記す。田口二州『愛児の名前のつけ方』有紀書房、昭和五〇年も同じ。p.78)、福田有宵『幸せをよぶ姓名判断』一九八六年、新星出版社p.58などに見える。
 「タラナ」が「タナラ」となっているものもある。

「あ」「わ」「や」土 「は」「ま」水 「さ」金 「た」「な」「ら」火ぞ「か」は木なれども土につくなり
(選名研究会『姓名学顧問』大正二年、雙文館 p.105,p.140)

アワヤ土 ハマ水 サ金 タナラ火ぞ カは木なれども土につくあり
(窪田久徳『応用姓名学』大正三年、永楽堂 p.40)

 カ行の字音には、音韻学上、牙音のものと、喉音のものとがある。中国語では牙音はkなど、喉音はhなどと発音の区別があるが、日本漢字音ではともにカ行音となるものである。そのことについて、本来の〈五音歌〉では言及していなかったが(湯沢論文の示す『倭漢三才図会』所載の「アカヤワ喉……」は、これに言及していることになる。)、この五行を知る歌では「カは木なれども土につくあり」と注意している。高井蘭山の字引などで、「公」は木性、「下」は土性などとなっている。
 ところが、『姓名学顧問』や石川雅章(一九七八)のように、「土につくあり」を、カ行だけのことではなく、全ての字において、土につくものがあると解しているものがあるようである。石川雅章(一九七八)の、
ア・ワ・ヤ・土 ハ・マ・水 サ・金 タ・ラ・ナ火ぞ カは木なれども 土(濁音)につくあり
に見える「土(濁音)につくあり」は、佐々木泰幹『姓名学大観』(大正十四年、春江堂)に「凡て濁音は幾分か土性の気を含む」とあるような考えを示したものであろう。

   アワヤ土カは木なれども土につくサ金ハマ水タナラ火としれ
   (『増補/名乗字引』明治五年、敦賀屋為七ほか)
(片岡義助『新選名乗字引』明治十年)

といった形は、そうした誤解を避けようと改訂したものとみることも出来る。


 『姓名学顧問』は、附録として高井蘭山の『名乗字引』を収めているため、その部分ではカ行音の喉音字は土とされているが、本文中の説明ではすべて木として扱われている。『姓名学大観』でも、すべて木である。原漢字音が牙音だろうが喉音だろうが日本語に入ってしまえばともに牙音(にあたるk音)で発音されるのであるから、牙音である「木」と定めてしまうことには一理あるが、唇音でなくなったハ行音を「水」から替えている書は見いだしておらず*16、中途半端な合理化のように思える。


 記憶歌においても、「土につくあり」を廃して単純化してしまったのが、根本圓通派*17のものである。

アヤワ土 サ金 ハマ水 タラナ火ぞ カは木と定め 音に從ふ
   (根本圓通『名前の附け方字引』昭和四年、二松堂 p.83)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木と定め 音に從ふ
   (徳田浩淳『姓名学読本』昭和一三年、巧人社 p.38)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木と定め 音に從ふ
   (根本圓通『姓名学大鑑』昭和一六年、河野成光館 p.108)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木とさだめ 音にしたがう
  (吉川博永『良い名前のつけ方』昭和三七年 協文社 p.89)
  (吉川博永『よい名前のつけ方』昭和四五年 高橋書店 p.57)
  (吉川博永『名前のつけ方』昭和五一年 高橋書店 p.57)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木と定め 音にしたがう
  (吉川博永『赤ちゃんの名づけ方』昭和四五年 永岡書店p.86)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラは火 カは木と定め 音にしたがう
  (吉川博永『よい名前の条件と改名法』昭和五一年 日本文芸社 p.64)

というものである。(金と水の順、アヤワという順も目につく。タナラもそうであるが、五十音順にしたものであろうか)。


記憶用の歌には、「アワヤ土」に始まらない別の形もある。

ハマは水タラナは火なりカは木なりサシは金なりアワヤ土なり
(馬場信武『韻鏡諸鈔大成』宝永二年)

ハマは水タラナは火なりカは木なりサシは金なりアヤワ土なり
(鶴峯戊申『名判集成』文政三年 大正八年の刊記を持つ版本による。湯沢論文の〈五音歌〉Eと共に載る*18。)

ハマは水、タラナは火にて、カは木也、サシは金性、アワヤ土ナリ、
天理本『韻鏡反切秘講』請求番号821-697 写本 石橋顕忠

 なお、〈五音歌〉と似ない形であれば、毛利貞斎『韻鏡秘訣袖中抄愚蒙記』(元禄八年)、『韻鏡袖中秘伝抄』巻七に見える。

喉(のど)は土(つち)。牙(きば)は木(き)なるぞ。歯(むかば) 金(かね)。水唇(くちびる)に。舌は火と知れ。

河合元『韻鏡調』(寛政七年刊)の下巻にも似た形で見える。

喉は土 牙は木にして歯は金よ唇は水舌は火としれ

なお同書の中巻には、「アワヤ喉、ハマ唇に、タラナ舌、サ歯カ牙とは兼て知ずや」という形の〈五音歌〉(湯沢論文にない形)がある。


神沢杜口『翁草』巻五九*19に見えるのは、

 前歯「金、奥歯は「木にて、喉は「土、舌は「火ぞかし、唇は「水

で、〈五音歌〉の湯沢論文にない形、

「ア「ワ「ヤ喉「ザ「タ「ラ「ナ舌に「カは牙音「サは歯音にて「ハ「マは唇音

と共に載せられている。


 なお、近年の姓名判断本や名づけ指南本は画数によるものがほとんどだが、字音や発音による五行を説くものもある(字音によるか通常の読みによるか、という問題は古くからあるが、ここでは問題にしない。)。上記の、記憶用の歌が載せられているもののほかに、
 中村友美『赤ちゃん 名前のつけかた』昭和五七年、成美堂 p.116
 田口詠士(田口二州)『幸せを呼ぶ名前』昭和六二年、永岡書店 p.91-
 田口真堂『改名運命術』一九九七年、二見書房 p.76-
 小島白楊『幸せ名づけ百科』平成九年、婦人生活社、p.74-
 田宮規雄『世界にはばたく 女の子の名前』二〇〇六年、高橋書店、p.52-
などがそうで、画数のほかに音の五行を説明しているが*20 、これらもカ行を木性とのみするものである。また、田口真堂のものは、「ん」を土性だと説明しているのも目新しい。


 以上、〈五音歌〉の変容をみた。


 姓名判断の書は多く出ており、とても全てを見渡すことは出来ない。また、これが古いものであると、古書店でも結構な値段になっていることもある。そうしたものは、図書館等にもあまり入っていないようで、ここに取り上げたものは、たまたま私の目に触れたものであることを、念のため、付記しておく。また、実用本によくあることとして、刊記が貼附のものであったり、カバー袖のものであったりなど、そこに記される年記が、本文の印刷時と隔たっている可能性が高いものもあるが、そのまま掲げた。
 歌舞伎関係の書、滑舌関係の書も、姓名判断本ほど多いわけではないが、これも網羅的に見ていったわけではない。
 また、足許の韻学書・国語学関係書にしても、見落としがあるであろう。関連文献として後に掲げたものは、湯沢論文で言及されていないものを中心に、五音歌に言及したものである。
 なお、本稿では、引用にあたって、片仮名を平仮名に改めるなどしたものがある。


 文献(引用したもの)
赤間亮ほか(一九九四)「松浦史料博物館所蔵 近世演劇関係書目録」『雅俗』1
石川雅章(一九七八)『愛児の為のすてきな名前』昭和五三年、日本文芸社p.137
石塚雄康(一九九二)『いき・こえ・ことばのイメージ』星雲書房
井上ひさし編(一九八八)『日本の名随筆70語』作品社
岩淵悦太郎(一九三六)「近世における波行子音の変遷について 蜆縮涼鼓集の記載を中心として」『国文学誌要』(法政大学)4-2・岩淵(一九七七)
岩淵悦太郎(一九七七)『国語史論集』筑摩書房
大松幾子(一九九六)『対談朗読文化』かど創房
織田正吉(一九八六)『ことば遊びコレクション』講談社現代新書
景山正隆(一九八三)「外郎売」『日本古典文学大辞典』岩波書店
勝田久(一九七八)『声優への道』サンノ印刷 p.196
河竹繁俊(一九四四)『歌舞伎十八番─研究と作品─』豊国社
川和孝(一九八一)『日本語の発声レッスン 俳優編』新水社
日下部重太郎(一九三二)『朗読法精説』中文館
クロード小林・石丸美智代(一九八五)『やってみよう!ことば遊びラボ』宣伝会議
佐藤稔(二〇〇七)『読みにくい名前はなぜ増えたか』吉川弘文館
鈴木棠三(一九七五)『ことば遊び』中公新書 「ういろう売のせりふ」の部分は、井上ひさし編(一九八八)に再録。
千田是也『近代俳優術』早川書房、手許のものは昭和四五年四四版、下巻 p.303
高田時雄(一九九一)「五姓を説く敦煌資料」『国立民族学博物館研究報告 別冊』14(1991) pp. 249-268 http://doi.org/10.15021/00003620
田中栄三(一九五三)『映画演技読本』映画世界社
辻村尚子ほか(二〇〇六)「忍頂寺文庫蔵 団十郎関係書書誌解題」(『忍頂寺文庫・小野文庫の研究』大阪大学文学研究科)http://www.let.osaka-u.ac.jp/~iikura/ninjoji1.pdf
戸板康二(一九七八)『歌舞伎十八番』中公文庫
東京声優研究所(一九九七)『めざせ!声優デビュー』成美堂
冨田浩太郎(一九七六)『俳優の音声訓練』未來社
冨田浩太郎(一九八八)『舞台と映像の音声訓練』未來社
馬場雅夫(一九七六)『コトバ遊びの話術』文潮出版* p.212
三澤諄治郎(一九五六)『(訂正版)韻鏡入門』1956.5.24(私家版)
三澤諄治郎(一九五九)「五音歌の考察」(『甲南女子短大論叢』四)、
向井吉人(一九八九)『素敵にことば遊び』学藝書林
安間清(一九六四)『早物語覚え書』甲陽書房
湯沢質幸(一九九二)「五音の歌」『文芸言語研究(言語篇)』(筑波)22号 http://hdl.handle.net/2241/13593 湯沢(一九九六)所収
湯沢質幸(一九九六)『日本漢字音史論考』勉誠社
綿谷雪(一九二七)『言語遊戯考』発藻堂 p.61
綿谷雪(一九四二)『ことばの民俗学』都書房
綿谷雪(一九六四)『言語遊戯の系譜』青蛙房 p.41


『韻鏡諸鈔大成』『名判集成』『韻鏡袖中秘伝抄』『名乗字引』の類は岡島蔵本、『韻鏡秘訣袖中抄愚蒙記』は九州大学松涛文庫本、『法華経文字声韻音訓篇集』は九州大学文学部蔵本、『和漢字名録』は九州大学附属図書館蔵本、『韻鏡調』は大谷大学蔵本による。


 関連文献(本稿には引用していないが、五音歌に言及しているもの)
亀井孝ほか(一九六五)『日本語の歴史 別巻 言語史研究入門』平凡社
木枝増一(一九三三)『仮名遣研究史』賛精社 p.111
釘貫亨(一九九八)「「喉音三行弁」と近世仮名遣い論の展開」『国語学』192・釘貫(二〇〇七)
釘貫亨(二〇〇七)『近世仮名遣い論の研究』名古屋大学出版会
坂梨隆三(一九八七)『江戸時代の国語 上方語』東京堂 p.58
新村出(一九七四)『国語学概説』金田一京助筆録・金田一春彦校訂、教育出版(シリーズ名講義ノート)p146
杉本つとむ(一九七六) 『蘭語学の成立とその展開1』早稲田大学出版部
杉本つとむ(一九九八)『日本語研究の歴史』八坂書房
鈴木博(一九八四)『室町時代語論考』清文堂 p.319
鈴木真喜男(一九七七) 『単語篇』に児童がつけたふりがなについて『松村明教授還暦記念/国語学と国語史』 p.702
高橋龍雄(一九〇一)『発音教授法』p.33 湯沢Eの三句目「カ牙サ歯や」
寺尾五郎(一九八二)「私制韻鏡巻解説」『安藤昌益全集五』農山漁村文化協会
橋本進吉(一九六六)『国語音韻史』岩波書店 p.112
前田富祺(一九八〇)「軽重」『国語学大辞典』東京堂
松繁弘之(二〇〇二)「本居宣長『字音仮字用格』の基礎 「喉音三行辨」の本質」『国語学』209
馬淵和夫(一九六五)『日本韻学史の研究』第三篇「韻学と国語学史との関係」第一章「五十音図の研究」
馬淵和夫(一九八〇)「五十音図」『国語学大辞典』東京堂
馬渕和夫(一九九三)『五十音図の話』大修館書店
馬渕和夫(一九七一)『国語音韻論』笠間書院p.137
藤井常枝『和漢字名録』巻之上に湯沢C


補記

あわや喉《のど》・か牙《きば》・さ顎《あぎと》・たなら舌《した》・は軽《かろ》・ま重《おも》く・唇《くちびる》の声《こえ》

藤井乙男『諺語大辞典』による。

そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわって来たわ、まわって来るわ、アワヤ喉《のんど》、サタラナ舌《した》に、カ牙《げ》サ歯音《しおん》、ハマの二《ふた》つは唇《くちびる》の軽重《けいちょう》、開合《かいごう》さわやかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ

 (久保田尚「新版・大道芸口上集」(評伝社))
  室町京之助にも言及

  • 湯沢論文の〈五音歌〉

A アワヤ喉 サタラナ舌ニ カ牙サ歯音 ハマノ二ツハ 唇ノ軽重
B アカヤワ喉 サタラナ舌ニ カ牙サ歯音 ハマノ二ツハ 唇ノ軽重
C アワヤ喉 ザタラナ舌ニ カ牙サ歯音 ハマノ二ツハ 唇ノ軽重
D アワヤ喉 タ舌 カ牙サ歯 ラ半舌 ザナ半歯ニテ ハマハ唇音
E アワヤ喉 タラナハ舌ニ カ牙サ歯音 ハマノ二ツハ 唇ノ軽重
G あワや喉 た舌 か牙 さ歯 ら半舌 なハ半歯にて はまハ唇音
H タラナ舌 力牙サ歯音ニ ハマワ唇 アヤノ二ツハ 喉音トシレ
I アハヤ喉 力牙サ歯音ニ タラナ舌 ハマワノ三ツハ唇ノ軽重

あわやのどさたらなしたにかげさしおんはまの二ツはくちびるのきょうじゅうかいごうさわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろを、

p.43

  • 伊藤竹酔『変態広告史』

あわやのどさたらなしたにかげさしおんはまの二ツはくちびるのきやうじうかいごうさはやかにあかさたなはまやらわおこそとのほもよろを

(明治十六年刊行『歌舞伎十八番』久保田彦作編輯、林吉蔵出版。掲載)

p.14

落ちていた参考文献

塩原慎次朗(一九七九)『美しい声の出し方、つくり方』音楽之友社

*1:本論文は、『テクストの生成と変容』に載る。

*2:鈴木棠三(一九七五)で、

実演に入る先に、音韻の基礎知識について、ちょっと学のあるところを示して煙にまく。
とする。綿谷雪(一九六四)では、「発音機構の定則を教えるしつけ(ヽヽヽ)歌の一首。俗に”五音を知る歌”という。」と注する(p.45)。

*3:〈五音歌〉が77となるところを七五調で後に続ける。

*4:『資料集成二世市川団十郎』昭和六十三年和泉書院に載せるせりふ本『若緑勢曾我 江戸森田座 市川団十良 ういらううり』でも、この部分はほぼ同じである。

あわやのどさたらなしたにかきばとてはなの二つは口びるのきやうちうかいこうさはやかにうくすぬへめゑれへあかさたなはまやらは

*5:景山正隆(一九八三)によれば、「享保十一年正月、中村座『門松四天王』の時の「外良売市川団十郎せりふ」と題するせりふ尽しがケンブリッジ大学にある。」ものが、『歌舞伎年代記』とほぼ同文だというが未見。赤間亮ほか(一九九四)p.214に見える、天明八年の「ういらう売せりふ」も未見。

*6:後日の注。これは田中(1953)に「台詞の方は、明治大正昭和を通じて、かつて一度も上演されたことはないさうである」とあるのに従ったものであったが、現在、文言を大幅に変えて演じられているようであり、五音歌の部分は出て来ない。

*7:いわゆる「滑舌」練習である。大松幾子(一九九六)p.192には、

滑舌訓練の教材にも使われている『外郎売りの科白』に「アワヤ喉サタラナ舌にカ牙サ歯音ハマの二つは唇の軽重」とあり、発音のしくみを教えています。
とある。鴻上尚史『発声と身体のレッスン』二〇〇二年、白水社のように、「この本では、早口言葉や外郎売りは載せません。」と明言しているのも、外郎売りを載せるのが当然であるという状況を示している。

*8:「その上演に当っては小田原の外郎家へ市川家から必ず挨拶に来る慣習で、その時はういろう売のせりふの一枚摺を届けて来た。同家ではこれを印刷にして希望者にわけているが、『歌舞伎年代記』初二に載せるものと、大異はない。」とある。

*9:発声練習の注意事項は、田中栄三『映画TV演技読本』映画の友社によるという。手許で確認出来るのは、田中栄三『映画演技読本』映画世界社、昭和三〇年再版本のみであるが、これに載せられている本文は『歌舞妓年代記』系統のもので、日下部重太郎(一九三二)の他数冊の本によるものらしい。また、田中氏によれば、同氏の『トーキー俳優読本』昭和一二年にこれを輯録し、日活の演技研究所で発音練習用の教材として使ったのが、現今の発音練習における外郎売りの隆盛の契機とのことである。

*10:外郎売りには、微妙に違う幾つかの種類がありますので、それらの幾つかを読みくらべてみると面白いでしょう。」(p.152)という注記もある。

*11:式亭三馬狂言綺語』所収。帝国文庫『三馬傑作集』によれば、「あまいこと砂糖(さとう)のみつねり上せんべい、紋(もん)の三升(みます)は瀧(たき)のぼり。常住(ぜうぢう)買人(かいて)にぎやかに」(p.761)で、それに続く「朝からも晩までも」は「あかさたなはまやらわ」のもじりであろう。綿谷(一九六四)では「朝から晩まで」となっていて、そのもじりが分からない。岡本竹二郎『戯文軌範』(明治十六年)にも載せられている。

*12:日本国語大辞典「開口」「軽重」にも引く。

*13:団十郎外郎売りのせりふを逆から言ったという話の舞台も、京都とするもの(『甲子夜話』巻五「楽工、盲人、俳優等達芸の事」(平凡社東洋文庫1p.77)を示す綿谷雪(一九六四)、鈴木棠三(一九七五))と、大阪とする伊原敏郎『日本演劇史』p.539、河竹繁俊(一九四四)(『日本演劇史』も)・田中栄三(一九五八)・戸板康二(一九七八)などがある。伊原敏郎のものを読み違えたのではないか。

*14:上字の頭子音と、下字の韻母を組み合わせて発音したものと同音の漢字のことである。

*15:近世の節用集の巻末や、往来物・重宝記の類にもに付される「五性名頭字」「男女名頭字」といったものでは、木土火水金-唇舌牙歯喉となっているものがある。たとえば『絵引節用集』では、〈五音歌〉「アハヤ喉ザタラナ舌にカ牙サ歯音ハマの二ツは唇の軽重」(湯沢のC)を載せ、「喉」の下に「土」を、舌の下に「火」を、「牙」の下に「木」を、「歯」の下に「金」を、唇の下に「水」を刻しているのに、すぐ上の図では、唇舌牙歯喉-木土火水金の対応になっている(『節用集大系』四八巻p.433)。これは、木姓(木性の氏姓)にはこれらの字、ということで唇音の字を列挙しているものかもしれない。また、快倫『法華経文字声韻音訓篇集』の、唇舌牙歯喉-羽徴角商宮(すなわち、水金土火木となる)などもある。

*16:言わば、『蜆縮凉鼓集』の「新撰五音図」が表れていない段階に留っている、とも言えようか。岩淵(一九三六)など参照。

*17:「霊理学派」と名乗っている。

*18: 鶴峯戊申『磨光韻鏡口授』(東北大学)にも、〈五音歌〉Eが載る。

*19:日本隨筆大成(新版)3-20、「五音開合記憶伝の事」p.364

*20:「古代インドのサンスクリットの音韻法により分けられています」(中村友美)、「古代中国の音韻学を現代風にアレンジした」(小島白楊)などとしている。