かつての文庫解説 松本修『どんくさいおかんがキレるみたいな。―方言が標準語になるまで 』

2013年松本修さんの文庫『どんくさいおかんがキレるみたいな──方言標準語になるまで』*1が出る際に、その「解説」を書いたのですが、新潮文庫書目からは外れてしまったようです。


それで、その時の「解説」を公開することに致しました。


新潮文庫にちゃんとある、松本さんの『全国アホ・バカ分布考』への言及もありますし、

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

この解説にも、それなりの意味はあるでしょう。

 松本修さんは、二刀流の人と言っていいだろう。敏腕テレビプロデューサーであり、『全国アホバカ分布考』のような著書を持つ、という意味では、もちろんそうだろうが、ここでは、言葉の調査において、二刀流の人、ということを言いたいのである。
 大学国語学研究室というところには、テレビ番組に携わる人からしばしば質問電話がかかってくる。その多くは、ほんの少し辞書などの基本ツールを見れば解決する(ないしは解決の糸口がつかめる)ものか、あまりに漠然としすぎていて何とも答えようのないものである。
 本などをみて分らないことを問うのではなく、ともかく電話して聞いてみようというものである。取材というのは、人に対してするものであって、書物に直接するなど、まだるっこしいことはしない、という態度を感じるのである。
 ところが、松本さんは、テレビの人でありながら、書物と人と、両方からうまく取材している。そうした意味で二刀流なのである。
 「探偵!ナイトスクープ」のプロデューサーとして知られている松本さんが、我々日本語研究者に知られるようになったのは、「探偵!ナイトスクープ」で、「全国アホ・バカ分布図の完成」が放送された一九九一年五月二四日あたりからであろう。その日はちょうど、日本方言研究会関西地区で開かれる、二年に一度の日であった。春と秋に全国各地で開催されているが、四回に一度、関西地区で開かれるのである。その際に夜の放送のことが伝わり、全国から関西に集まっていた方言研究者たちが、宿泊先のホテルなどでこの番組を見たようである。私は残念ながら、同じ大学で開かれていた別の研究会で研究発表をしていたこともあって、そのことを知らずに番組を見なかったのだが、翌日にそのことを知人から聞いて残念に思ったものである。九〇年一月に放送された「アホとバカの境界線」を見ていただけに、である。
 その次の方言研究会(九一年秋)では、松本さんが発表なさった。当時はまだ、手書き文字だけで構成されている発表資料も多い時代だったが、カラーで印刷されたアホバカ分布図が配られたことに、我々、予算の少ない人文系の研究者は驚いた。発表内容も、人海戦術ともいえそうな郵便による調査に加えて、当時はまだ高かった市外電話を掛けまくったように見える調査、情報を吸い寄せるマスコミの力など、マスコミの人がこのようなことを調べると、こんなにも早く一定の成果を挙げることが出来るのか、という印象を抱いた。
 その二年後の夏に『全国アホバカ分布考』の単行本を自宅近くの書店で見つけて早速に読んだが、その大きな発展に驚いた。発表時には通り一遍だったように思われた文献の調査が進んでいたように思えたからである。
 言葉歴史をたどるのには、どうしても文献の調査が必要である。文献と言っても、言葉歴史が書いてある参考文献ではなく、問題にしている言葉が実際に使われている一次文献のことである。松本さんは、徳川宗賢先生などに相談したこともあってであろうが、文献から言葉を探す必要性を認識して、書籍化にあたってそこを補ったようだ。東京古書店電話をして、目指す言葉が載っていそうな文献が収められている書物を、次々に買っていく様子は、乏しい予算で研究している我身を悲しくさせたが、大きく共感した部分があった。言葉を求めるために、書物索引があれば、そこで求める言葉を探す習慣が付いてしまったというあたりである。そして書店の店頭で、なにげなくその習慣を実行したことによって、重要な使用例を見出す。
 このようなことは確かにある。たまたま開いた本に、気にしている言葉使用例が見つかる、というのは、その言葉に対して敏感になっているから目にはいるのだろうが、そういう言葉探しの不思議な体験があるのである。そのような体験自体はしばしばあるのだが、そのことを記録した文章はいくらもあるものではなく、そのような本として、『アホバカ分布考』を学生さんに勧めることも多い。
 『アホバカ分布考』を出版した後も、松本さんの言葉に対する探究心は持続し発展している。国語語彙史研究会という語彙歴史を研究する会にも、しばしば参加なさって、発表もされている。方言分布から出発した松本さんの研究が、文献を利用した研究へと発展しているのだ。
 かつて、言葉は「地を這うように伝播する」と言われ、そのことがアホバカ分布に見えるような同心円型の分布を生んだのだが、今、言葉は、空からばらまかれるように伝わるのが中心となった。言葉を空からばらまいているのはテレビを中心としたマスコミである。そのテレビの中にいる松本さんが本書で取り組んだのが、テレビラジオが広げた言葉である。
 しかし、本書でも、松本さんは次のように書く。
今こそ文献の扉を開けて、過去への旅に出なくてはなるまい。
 ただ、松本さんは文献を探るだけの人ではない。『アホバカ分布考』では、主に日本語研究者との縁で調査を進めていったが、本書では、言葉を作った人・広めた人との縁を求めている。テレビ局のプロデューサーであるので、その縁が繋がるのである。
 用例探しの喜びを知っている松本さんが、松本さんのような立場の人でなければ、おいそれとは会えないような人から情報を得ながら、取材しているのである。面白くない訳がない。日本語変化に関わってきた人たちを探したいという松本さんの思いが伝わってくる。
 本書は、いわゆる「業界」の言葉が、いかに普通の人間の言葉に入り込んでいるかを考証しているものである。
 確かに、そういうことはある。かつて規範的な標準語アナウンサーが担っていたが、現在は、芸人と呼ばれる人たちの話し方がモデルとなっているようで、我々教師の話し方も「あの先生、滑舌が悪くてよくカムし、話は滑る」などと評されたりする……
 などと、印象だけで述べるようなものでは、この本はない。
 比較的近い過去のことは、印象や記憶に基づいて書かれることも多いのだが、記憶だけは不確かである。現に、本書の中でも、松本さんが、過去文献から得られた情報を提示することで、証言者の記憶が甦ったり、その文献文章からだけは読み取れないことがらを、当事者の記憶を甦らせることによって鮮明にするなど、記憶と記録を突き合わせることで、取り上げられた言葉が、どのように人々に意識され、どのように広がっていったのかが見えてくるのである。
    *
 本書では、主に、「マジ」「みたいな。」「キレる」「おかん」が扱われていて、これに対して、日本語史研究者としてコメントしたいと思うのだが、あまり紙幅がないので、一部だけ。
 「みたいな」については、私などは、上接するものの多様化に気を取られていた。つまり「〜を見たような」から変化した「みたいな」が、古い形では名詞に続く「名詞みたいな」というものから、動詞形容詞にも続くようになり(「はしるみたいな」)、さらに文を受けるようになった(「〈なにやってんだ〉みたいな言い方」)、という流れである。
 ここで松本さんが問題にするのは、「みたいな。」を使った新しい表現法といってよいだろう。単語ではなく句を「みたいな。」で受けて、そこで文を終わらせる表現法である。句を受けるというよりも、セリフと言った方がよいだろうか。
  「セリフ」、みたいな。
という形である。このような言い方が、とんねるずによって広げられたことについては、既に指摘がある。早くは、『89年版ことばのくずかご』筑摩書房*2)で、武藤康史氏が「言語面におけるとんねるずの圧倒的な影響力」と書く中で指摘しているし、ラサール石井笑うとは何事だ』(徳間書店一九九四年*3)でも同様である。石井氏は「言葉をつくった人と、流行らせた人が往々にして違う」と書いているが、松本さんは、「みたいな。」について、その源流を探っている。その源流探しにあたって、私がネット上の「ことば会議室」に「ギョーカイ風の言い方としては古くからあったのだろうけれど、活字化されている」比較的古い例ではないかと記しておいた*4渥美清氏の談話に目を止めていただいたのが嬉しい。私は、小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮文庫*5)に引用されているのを引いたのだが(なお、この本には、渥美清の「みたいな」を繰り出してくる話術の趣についても言及がある)、松本さんは、引用元の『キネマ旬報』を入手され、さらに、『キネマ旬報』をバックナンバーへとさかのぼって行かれ、意外に古い用例を見せてくれる。
 「キレる」の中で触れられる「ぷっつん」の類。これを、効果音としてではなく、口頭で発することについては、片岡鶴太郎にさきがける例として、『ひょっこりひょうたん島』での「プツン」の使用例ちくま文庫版の第三巻*6三二一頁)がある。
 「マジ」「おかん」は、ともに江戸時代に使われていた言葉なのに日常言語から姿を消していたものが、後に〈お笑い〉によって復活を遂げた、という魅力的な語誌を示していただいた。
 「マジ」については、谷間の時代のものとして、小林信彦1960年日記』(白夜書房一九八五年*7)の六一年五月二〇日に「イヤミではなく、マジのようで」という用例があるのをたまたま見つけたので、芸人と交渉のあった人の用例としてここに書き付けておく。
 「おかん」については、下層の人たちに残っていた、ということであるが、大阪方言研究者の牧村史陽から、「中流以下の大阪人」の言葉であるとされた(『大阪弁善哉』六月書房一九五六年*8 )、八住利雄脚本の、映画夫婦善哉』には見える(織田作之助原作にはない)。落語の類以外の用例として、折口信夫の「生き口を問ふ女」(大正一一年)の用例も補っておこう。また「おかん」は関西の周辺部にもあった。さらに言えば、関西だけではなく、九州などにもある(『日本方言大辞典小学館など参照。この辞書方言は主に過去方言集などから拾ったものである)。そして、そのことは、松本さんも、語彙史研究会の懇親会などで話されていたのだが、本書には反映されていない。
 本書でも引用される井上史雄氏の〈新方言〉の研究で指摘されるのだが、東京において周辺部の言葉流入しているという現象がある。それと同じように、関西においても、周辺部の言葉(ないし位相のことなる言葉)が、関西中央部に流入してきた例として「おかん」があるとも考えられる(かつて中央部でも使われていた言葉であったが)。
 オカンとは言うがオトンとは言わない、という状態に大阪言葉がかつて有ったことが本書では示されている。その理由については、父親と母親の立場の違いに由来するという考え方が書かれている。これは、岸江信介ほか『大阪のことば地図』(和泉書院二〇〇九年*9 )でも、同様の考えが示されているが、音声の面から説明することも可能である。これは、オバンとは言うがオジンとは言わない、という方言があれば、同じ理由で説明できるものである。つまり、オカーサン・オバーサンと、ア段の音が連続すれば、サから変化したハが脱落することも有りうるけれど、オトーサン・オジーサンのような、ア段に比べて狭い母音が来た後に来る、サ・ハというア段音は脱落しにくいのである(アナタはアンタになるのに、ソナタをソンタとは普通言わない)。
 ただし、オカンが本当にオカーサン→オカーハンなどから変化したものなのか、オバンがオバーサン→オバーハンから来たものなのかは検討が必要だろうと思う。つまり、サン・ハンのない、オカー・オバーから、オカン・オバンが出た可能性なども考えないと行けないのである。オバーサンがオバサンよりも短くなってしまう、という妙な現象を説明するためにも、である。このあたりは、なかなか複雑で、前掲の『日本方言大辞典』の、「おじー」・「おばー」のあたりを開いてみれば、その複雑さの一端を感じていただけるだろう。特に「おじー」については、辞書の項目を立てる際に「祖父・爺」と「小父」を区別することをあきらめざるを得なかった様子が見えるのである。本書で、オジンが「小父さん」と解されて広がったことをも思わせる。
 言葉変化は複雑だが、その複雑さをほぐして見せてくれるのは嬉しい。「日本語の奥深さ」などともったいをつけるのではなく、解きほぐしてくれると本当にありがたい。本書を手に取った人が、言葉変化について感心を持っていただき、その人ならではの探索をしてもらいたいと思う。たとえば、テレビラジオ音声は十分には残っていないが、個人が録音したものがあるはずで、そのようなものを使って言葉歴史の探索をする人が出てきてくれないか、という期待もありつつ、この文章を終わる(この「〜という〜もありつつ」も、芸人さん由来の言葉ではないか、という気がするのですが、いかがでしょう)。
 (平成二十五年三月、大阪大学教授〈国語学〉)

*1:単行本の時は『お笑い日本語革命』

*2:

ことばのくずかご〈89年版〉

ことばのくずかご〈89年版〉

*3:

*4:http://kotobakai.seesaa.net/article/8238293.html#422

*5:いまは、ちくま文庫

*6:

*7:ちくま文庫

1960年代日記 (ちくま文庫)

1960年代日記 (ちくま文庫)

*8:

大阪弁善哉 (1958年) (六月新書)

大阪弁善哉 (1958年) (六月新書)

*9:

大阪のことば地図 (上方文庫別巻シリーズ 2)

大阪のことば地図 (上方文庫別巻シリーズ 2)