ワークショップ

日本語音韻史の方法と実践
http://www.let.osaka-u.ac.jp/jealit/kokugo/jphon/index.htm

スエン オースタカンプ(日本学術振興会 特別研究員)
朝鮮資料における並書表記とその解釈ローマ字キリル文字資料との対照から


トマ・ペラール(日本学術振興会 特別研究員)
日琉祖語母音について─比較音韻論の方法と実践─


岡島昭浩大阪大学大学院 文学研究科
日本語音韻史における「音韻用法変化」について


高山倫明九州大学大学院 人文科学研究院)
音韻史字余り


朝鮮資料も、日琉も、字余りも面白く拝聴。

字余り

明治頃の短歌まで、1,3,5句に字余りが多いという現象は不変である、という指摘は大変有意義だったが*1

千載新古今ノコロヨリシテ此格ノ乱レタル歌ヲリヲリ見エ西行ナド殊ニ是ヲ犯セル歌多シ

という、宣長の指摘は、なお有効であるように思える。

西行山家集字余りに、
「はるのほどは」「くもにまがふ」「はるのゆきは」「よもぎわけて」「はなのころを」「ひるとみゆる」「おどろかんと」「よにもはぢむ」「ふでのやまに」「いづるふねは」「すててのちは」「にはにみれば」「ながれやらで」
のような、ワ行音(ハ行転呼も含む)・ヤ行音撥音を含むものもあって、これらがア行音と同じように字余りを許すようになったと捉えれば音韻史の影響と言えそうだが、
「ともになりて」「はるのかすみ」「よるべもなき」「ちるとみれば」「きりくちににけり」「くももかゝれ」「いろにそめて」「たけのかぜに」「からすざきの」「いらこざきに」「つきにはぢて」「ひとになれば」「いづるみづの」「しぐれそむる」「いそなつみて」「さらぬことも」「さとりひろき」「すすめられて」「おなじつきの」「めぐるふねの」「きみにそみし」「あとのひとの」「おなじさとに」「ましてまして」「おもきつみに」「はるになれば」「かげになりて」「あさぢふかく」「ここのしなに」「むぐらかれて」「ことときくに」「ふかきたにに」「ひかりさせば」
といった、ア行音のようには圧縮可能ではなさそうな音ばかりで成り立つ字余り句もある。これは、山家集あたりの時代と、それ以前の、句中の「あいうお」しか字余りを許さない時代とでは、やはり、何かが違っているのだろう、と思ったことでした。その何かが、朗誦法なのか、音韻にまつわることなのか、分かりませんけれども。
ナ行マ行は圧縮可能だった(撥音化?)と考えればよいか、と思ったけれど「さとりひろき」「あさぢふかく」があった。ハ行音も転呼して無くても圧縮可能と考えるか。


しかし、そこまで考えるのなら、どの行の音でもよいようになった、と考えたくなるところである。「むぐらかれて」「ひかりさせば」もあった。

都々逸

都々逸などの俗謡は、7775と言われるが、厳密には、34・43・34・5である。これが、いつ頃誰によって言い出されたかは知らないが、例えば、現在、NHKラジオ第一放送で、土曜日に放送されている折りこみ都々逸*2などでも、そうした指導をしているのを聞いたことがある。

*○○○|○○○○
○○○○|○○○*
*○○○|○○○○
○○○○|○***

という枠組みである。43のところは、34にするぐらいなら、むしろ44の方がよい、という説明などもなされる。圧縮ではなく、休符を音に置き換えるのである。

*○○○|○○○○
○○○○|○○○○
*○○○|○○○○
○○○○|○***

ア行音だろうが同じことである。和歌においても似たような状況に山家集の頃になっていなのではないかと思われる、という話だ。

*1:高山倫明字余り韻律論――万葉歌から近代短歌まで――」(『フィロロジーの射程』所収)

*2:歌うのではではなく読むものである